EBA2 ブログとは


EBAII (エバツー)と読みます。
【EBA II】とは こうなればいいな~ ローマ字で NAR EBAII と言うコンセプトを持っています。社会的地位 年齢 性別を一切問わず 皆様に投稿して頂き繋がって行ければ「いいな」と考えております。投稿の中には 今まで気がつかなかった新たな生き方のヒントが隠されているかもしれません。小さなスタートですが継続する事によって このブログから色々な情報やアイデア等を発信したりする事が出来たら楽しさがより広がると考えております。【世界を今まで以上により良い所に変えたい】 そんな思いから始めています。
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2016年3月5日土曜日

就活をしたくない大学3年生が「シュウカツ」をしない夢の叶え方を妄想してみました



初めまして。お初にお目にかかります。のぐのりと申します。


Ryu殿に誘われて一筆、私の夢について語らせて頂く運びと相成りましたで御座る。


未だ21才の青二才、文才は一切ない(Yeah!)、シャイな秀才(Yeah!!!)、その名も…の・ぐ・の・り!Hoooo!!!(Foooo!!!)








……。








お待たせいたしました。改めましてのぐのりです。ちゃんと投稿できてるかな?


現在まとめサイトの専属ライターとして働く傍ら、ベンチャー企業のインターン生として働く傍ら、友達のRyuに声をかけてもらって、


私の夢について文字に起こしてみることにしました。






ズバリテーマは、「シュウカツ」です。






私は現在21才。現役で進学した大学3年生です。林大貴とよーちゃん、Ryuと同じ大学に通っています。


大学3年生といえば、世間のイメージでいえば「シュウカツ」を、こぞって始める時期ですね。


没個性化を押し付けられた衣装を身にまとい、クソの役にも立たない定型文を暗記するためだけに貴重な学生生活の貴重な時間を費やし、
インターンやセミナーや説明会といった文言に騙され、完全に時代に追いつけていない自分たちの会社がいかに時代の最先端を走っているかを唯一達者な口を開いて私たちを洗脳してくるイベントが、考える暇を与えまいとするように、毎日のように、津波のように押し寄せてくる、忌々しきあの、


「シュウカツ」です。






私はある一冊の本に出会い、日本の素晴らしい「シュウカツ」の制度に疑問を覚えたことをきっかけにして、


シュウカツをしたくない理屈を粘土のように、紙粘土のように、まるで東京タワーを作ろうとして失敗してただの三角錐になってしまった自分の作品を目の前に絶望した幼稚園児のように、


こねくり回していました。






こねこねくりくりしていたら、なんとなくですが、私の将来の夢、あこがれの暮らしや生き方が明確になってきました。


私の場合、それは「田舎暮らし」でした。






私は新潟県の片田舎、ど田舎とは言い切れないけど娯楽も楽しみもない、車で30分の距離にイオンがあることくらいが自慢の、豪雪地帯の町の出身です。


大学進学を機に上京して横浜での一人暮らしを始めましたが、ある種のギャップ、いわばリージョンギャップともいえる衝撃を、私は感じることになります。


大学の新入生歓迎会で夜の横浜に繰り出した時のこと。私は夕方から深夜まで大学の先輩と一緒に飲み会に参加することになるのですが、その時異変に気づきました。


夜暗くなっても、町中から人がいなくならないのです。それどころか、むしろスーツ姿のおっさんがどんどん増えていきます。


「な、なんだこの夜行性ヒューマンズは…いったいいつ寝てるんだこの人たち…?」


齢18の私は、そう思ったのです。






また、私はレザークラフトを趣味にしているので、革の名産地である浅草にも、よく訪れる機会がありました。


横浜から浅草まで行くには、京浜東北線で40分くらい電車に揺られる必要があります。


東京の電車といえば、満員電車。オバタリアンとオジタリアンたちのおケツとの戦いです。


通勤ラッシュの時間帯を避けても、座席に座れることはまれでした。平日なのに。


対して、新潟の地元での移動手段といえば、マイカーがメイン。あるいは2両編成の電車やおばあちゃんだらけのバス。


立ったまま30分以上ヒトヒトヒトでごった返した電車に乗る、なんていままで経験したこともありませんでした。






そしてなにより、野菜がまずい。飯がまずい。なのに高い。


トマト1個で198円?ハァ( ゚Д゚)?


もやしが1袋39円?ハァ( ゚Д゚)?


Why Tokyo's People┓( ゚Д゚)┏!?!?


しかも実際買ってみたら、全然おいしくない。田舎から時間をかけて横浜や東京のスーパーに運んでくるために、当たり前ですが鮮度が低いんですよね。


もちろん、高級料亭やイタリアン、フレンチレストランなど、一流のレストランはきっと、私が知っている料理のどんなものよりも美味なのでしょう。それはこっちに置いておきます。


問題は、特別な日でもなんでもない、365日毎日の食生活です。


コンビニのごはんやカップ麺は、できるだけ食べたくない。自炊がしたいけど、野菜はおいしくないし高い。下手したら外食したほうが安上がりの場合もあります。


私は、これからずっとこんなに高くておいしくない野菜を毎日食べ続けるんでしょうか。
外食とジャンクフード生活を重ね、50歳台でヨボヨボのおじいちゃんになり、内臓はぼろぼろで


生きているのか死んでいるのかわからない、病院や老人ホームでの寝たきり生活を送ることになるのでしょうか。






オラ、こんな人生イヤだ…!






そこでもう一度目を向けたのが、都会の人々のほとんどがなぜかリタイア後の生活として夢見ているらしい、田舎暮らし。Uターンでした。(リタイアするより前に移住したらいいのに)


田舎での暮らしは、ほかの人にとってはともかく、私にとっては魅力的な選択肢だったのです。


子どものころから大自然の中で遊ぶのが大好きだった私、お肉よりも野菜の方が大好きだった私、人混みが大嫌いだった私、全裸で近所を走り回っておばちゃんたちにいい子いい子されることが何よりもうれしかった私は、


たぶん、都会での暮らしに向いていない人間なんだと思います。


とはいえ、上京してそこそこ偏差値も高い日本の最高学府へ進学したにも関わらず、地元に就職したりアルバイトをしたりするのも、私のプライドが許しません。






ならどうするか?






フリーで稼げるようになればいいんです。


会社や組織に依存せず、自分の能力と自分で作り上げたシステムで利益を生み出し、趣味とお金稼ぎを一度にこなして、


毎日妻と子どもの顔を見ながら仕事をする。身内が体調を崩した場合にも、出勤の必要がないので一日中見守ってあげることができる。


出勤に2時間かかる仕事のせいで妻の出産に間に合わない、なんてこともない。同居する親の死に目に立ち会えない可能性も低くなる。


地元でとれる新鮮な野菜はおいしくて安く、自家栽培でお気に入りの野菜を作ることもでき、子どもを囲ってご近所さんみんなが可愛がってくれる日常。


のびのびと太陽の光を浴びた緑は心地よく茂っており、夜には星と夜空のコントラストが見事な満天の星空を毎日楽しめて、


鳥のさえずりと鶏のコケコッコーで目を覚まして一日が始まり、静かな夜をだれにも邪魔されずに過ごし、


春には桜と花粉症、


夏は潮風とひまわり畑、


秋の紅葉、


ちょっと雪はたくさん降るけれど


スローでミニマムな生活の中で、最大限の幸せを得ることができる。


そんな毎日がハッピーなフリーランスという職業を、私は選択します。






もちろん、障害や困難は普通のサラリーマンよりもずっと多く、これから数年は泥をすするような生活になる可能性も高いでしょう。都合のいい面ばかりを見ている自覚は、誰よりも持っています。


それでも、私はシュウカツがしたくない。ダラダラと長く働くことが美徳とされ、効率性や生産性の概念が欠落し、大企業勤務という看板に甘んじて成長を怠り、朝から晩まで仕事をした後は家族をおざなりにして、なおざりにして、自分のベッドで死んだように眠る。疲労しきった体を無理矢理たたき起こして乗車率300%の満員電車に乗り、ストレスだらけのルーチンを何の疑問も持たずにやり続ける。生きながらにして、死に続ける。もう死にたいと思い続けるような、


そんな人生への第一ステップを、私は踏み出したくないのです。






私は、いくつかのベンチャー企業のインターンとアルバイトの経験はありますが、もちろん社会人経験はありません。社会の厳しさを知りません。だから、私の周りの大人たちは口をそろえてこう言います。


「そんな甘い考えは捨てろ」


「一度大企業に就職すれば転職がしやすくなる」


「とりあえず3年は耐えろ」


でも、親たちをはじめ、周りの大人たちが説いてくる社会の厳しさには、もう聞き飽きました。わかったふりをし飽きました。






これは私の人生だ。自分がうまくいかなかったからって、私に同じ道を歩ませようとするな。






…まあ、こんな偉そうなことを書いておいて、1年後には、やっぱり気が変わってちょっとした中小企業でサラリーマンしている…なんて可能性も高いんですけどね。小心者なんですけどね。


その時は、心の中で笑ってやってください。でも、やさしくしてあげてください、メンタルは弱いのです…。お願いいたします。m(__)m










拙い文章で恐縮ですが、ここまでお読みいただきありがとうございました。


個人的にブログも運営しているので、ぜひ訪れていただけると嬉しいです!
http://nogunori.hatenablog.com/



2016年2月22日月曜日

幸せと時間


初めまして。よーちゃんです。みなさん早速ですが、


46」という数字を聞いて、これが何を意味するか分かりますか?


乃木坂46(アイドル) じゃないですよ?(笑)

 

国連SDSNが発表した「世界幸福度報告書2015」において、

日本の幸福度は、調査対象となった158ヶ国・地域中46位だったのです。

幸福度は、経済学者らが国民1人あたりの実質GDP、健康寿命、社会的支援、

人生選択の自由度、汚職レベルの低さ、寛容度を変数として幸福度を割り出したものです。

上位には、スイス、アイスランド、デンマークなど北欧の国々が占めています。

日本の46位という数字は一見高いようにも思われますが、

先進国中の最下位です。

 

この結果から一概に日本人は幸福度が薄いというのはナンセンスではありますが、

ここでは、日本人の幸福について私個人の意見も交えながら、少し考えてみたいと思います。

日本人の幸福度に関する分析に面白い結果が示されておりました。

年齢と幸福度について、諸外国における調査では、

年齢と幸福の間にU字型の関係があるとの結果が出ているものが多いのだが、

日本においては、L字型に近い推計データとなっている。

 

日本人の幸福度に関する分析 (先に目を通していただくと面白いかもしれません。)

 

年齢をとる、時間が過ぎていくとともに、幸福度が下がっていくなんて、人生がまるで楽しくないみたいですよね。


時間の使い方、皆さんの理想に合ってますか?

 

物質至上主義」「消費主義社会」という言葉が現代を表す言葉として使われています。

ウルグアイ元大統領 ムヒカ氏の言葉を引用させていただくと、


「現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力(残酷な競争で成り立つ消費主義社会)をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。」


これは現在の日本に当てはまるのではないでしょうか。


今日の日本には、毎日のように新製品が出て、売場の商品移行も激しく、同様にに人々は消費を行っています。

四季に合わせて毎年のように、流行のトレンドが発表され、人々は購買を繰り返しています。

私の家にも、コンセプトが統一されていない、トレンドで購入してしまったファッショングッズがたくさんあります。

人生という長い時間軸で見ると、特定の期間にしか使えないことほどもったいないものはないでしょう。

 

ムヒカ氏

「多くのモノを持たず、それ以上を望まなかったかつての日本人。『足るを知る』を美徳とした文化は大きな変貌を遂げてしまった。産業社会に振り回されていると思うよ。」

 

「幸せとは物を買うことと勘違いしているからだよ。幸せは人間のように命あるものからしかもらえないんだ。物は幸せにしてくれない。幸せにしてくれるのは生き物なんだ。」

 

「根本的な問題は君が何かを買うときお金で買っているわけではないということさ。そのお金を得るために使った『時間』で買っているんだよ。」

 

時間を消費し、得たお金で、物を買ってひと時の快楽・喜びを得る。

そんな日常、生活が私たち日本人には根付いてしまっているように感じます。

 

私の身の回りにも、クレジットカードの返済のためにあくせく働いている友達も多いです。

またそれの繰り返しで時間があっと言う間に過ぎている印象が強いです。

 

すぐに浪費をして、そのために働く、そこで時間が失われる。 負のサイクルですよね。

 

ここまで、具体的なデータや、私が感動したムヒカ氏の言葉を引用して、幸せと「時間」について述べさせていただきました。

 

世の中で、人為的に生み出すことができず、かつ人間の人生に深く密接する「時間」を多くの人が意識し、それぞれがより良い人生を送れるようになることを私は望んでいます。

 

私は、年齢を重ねるごとに幸福度が上がっていくような日々を過ごしていきたいです。

そして、いつの日か胸を張って、「俺の背中を見ろ」といえるようなカッコいい大人になりたいです。

(子供が親の背中を見て育つように)

多くの人に良い影響を与え続ける存在になることが私の夢です。

 

またこの記事を読んで、少しでも時間について考えていただければ幸いです。

 

 

Less is more(より少ないことは、より豊かなことだ)byファン・デル・ローエ

 

限りある時間の中で、自分が想う最上級の今を生きるby よーちゃん |д゚)



 

初回投稿:幸せと時間 についてでした。

 

幸せと時間について、みなさんから意見をいただければ幸いです。(^^)/

私は今大学生で、仕事と家族、自分の趣味をどの程度自由に社会人の方々がマネジメントしているのか気になります!
また幸せのために気を付けていることなどがあれば、教えていただければ嬉しいです!



最後に自己紹介をさせていただきますと、

名前:よーちゃん

趣味:車・バイク・酒・洋画。

最近幸せを感じたとき:「今幸せに感じるから、ほかの人の幸せにも共感できる。ありがとう」と言われたとき(*'')

 

これから46(よろ)しくお願いします。(日本の幸福度ランキング46だけに…)
次は、自分の意見をガツンとぶつける内容にしようと考えています。

 


スピーチに感動しましたら、なんと日本では絵本でも発売されているようなので、お子さんがいる方ぜひご検討ください!

2016年1月8日金曜日

幸せは歩いてくる・・


明けましておめでとうございます!

 

今年もどうぞよろしくお願いいたします!
 
 
2016年に入り久々に投稿をさせていただきます龍です。
 
またも自分が身の回りで感じたものをそのまま書き留めてさせていただきますm(_ _)m

皆さんは2016年のResolutionはすでにお決まりでしょうか?
ダイエット、禁煙、禁酒、一年を健康に過ごす、などと皆一日一日に目標をもって今申年に挑んでいるのだと思います。 
私の今年の抱負を述べる前にまず「幸せとは・・」について少し皆さんに問いかけてみたいと思います。

幸せ、その茫漠とした定義は一体全体何を表すのでしょうか?
1日1日が楽しければそれで良いのでしょうか?

大人の世界に一歩踏み込み始めただけのルーキーですが、最近はこの定義とは何か悩むようになりました。世界では「幸せとは?」などと悩む暇もなく日々必死に生きている人もいる中、何とも贅沢な悩みだ!と思う方もいるかと思います。それに関しましては僕も同感です (笑)

ですが、このような疑問を持った今、自分なりの答えを見出してみました。

皆さんはどのような時に、「今が一番幸せだ」と感じますか?

僕の最初の答えは、「好きな人と好きなことを好きな時に」できている時、でした。
2015年を通して、大学生である僕はこれを目標に後先構わず、自分の好きなことを好きな時に好きな人と過ごしてきました。自分勝手ですよね。
しかしながら、2015年を振り返った時、どうにも自分のこの定義に納得できずにいました。欲しいものは死に物狂いで手に入れて、小さな夢を一つずつ叶えたつもりではいたのですが・・ 僕が世界で一番尊敬する「ある人」の言葉でこれが自分にとっての幸せではないことに気づきました。
 
「物質的なものにとらわれていては、それは幸せから自分を遠ざけていることになる」
 
明確な言葉一つ一つは覚えていないのですが、会話を通して僕に伝わってきた言葉は上記のものです。貧乏でも幸せ、凡人でも幸せ、逆に言えばどんな大金持ちでも不幸せな人もいるということです。


当たり前のように聞こえますが、皆さんはどう思いますか?
 
毎日数え切れぬほどの苦難が押し寄せてくると思います。
そこから解放されることに「幸せ」を見ていませんか? 
 
借金まみれの人には借金から解放されることが幸せだと感じるのだと思います。ですが、それは幸せでしょうか?


・・・・


今の僕の答えは、「互いに助け合い、欲張らず人と共存すること」これが幸せだと感じます。
が前に思っていたようにこれは綺麗事のように感じる方もいると思います。
 
確かに世界には富をもとめ争う人も多いです。他人よりも注目を浴びることにより楽しみを感じ、そして「幸せ」を感じる人もいます。


ですが、人を良い気持ちにさせた後得る「何か」・・その「何か」が幸せなのではないかと僕は感じます。もちろん見返りなど求めず、単に自分の心から他人を気遣い、友達、家族、誰かしらのために自分が持つ能力を発揮する。これが幸せへの道なのだと感じます。 
困った人を助ければ、いつか、その人からではなくともその恩は自分に戻ってくるとそう信じています。
 
富、名誉、ではなく自分の持つ才能、力を他人のためにどれほど生かせるか、いつ終わるかわからぬ人生に悔いの無い様生きるにはこれが大切なのだと思います。
 
従って、私の今年の抱負は「より多くの人に幸せを伝える」です。
 
幸せは歩いてくるんです!歩き疲れたころに そう、今の僕は思います!
 
未熟、無力、無知でまだ駆け出しの僕ですが少しずつこの夢に向かって進み、幸せをつかみ取りたいと思います!
 
これを読んでいただけている皆さまは「幸せ」をすでに見つけましたか?
 
コメント欄に皆様の幸せの定義をお教えいただければまた一つ前進できると思っております!
 
それでは!
 
↑上記の写真は2015年12月30日に矢櫃峠から撮った日の出です!
僕にとっては希望の光にでも見えたのか非常に感動しました
 
 


2015年9月7日月曜日

最近では・・

はじめまして、

今日投稿させて頂く河西龍悟郎です。
最近よく思うことをそのまま書いてみようと思っていますので、どうか軽い気持ちで読んで頂ければと思います。


「ブログ」というものは以前挑戦してみたこともあるのですが、どうにもうまく続かなく、挫折してしまうことがあったのですが、こうした機会がある事に感謝しています。
さて、ブログを書く時、いつも「何を書けばいいんだろう」と、チョッとした疑問が頭をよぎります。人それぞれ考えがあると思いますが、今日は私の「希望」といったものについて皆さんに読んで頂ければと思っております。


「日々何を目標に生きていますか?」
「毎日朝起きてから夜寝るまで、何を原動力として生きていますか?」
最近ではこの二つの素朴な疑問と日々向き合っています。


オー ストラリアの高校を卒業し、日本に戻ってきてから3年目に突入した今でも、日本の電車には慣れていません。大学三年生になった今でも朝早く「ラッシュアワー」に電車に乗ることも少なくありませんので・・ そんな中、電車に乗っている人たち全員というわけではないのですが、私が見る限り、多くの人達がどこかいつも悲しそうに見えます。勿論これは私の単なる錯覚、または勝手な解釈なのかもしれないのですが、ひとつだけ言えるのは、少なくとも彼らからは「今の人生が一番幸せ」といった気持ち、またはオーラが感じられません。


私達は、社会の中で一日一日を大切に、ただ前へ前へと進みたいがために数え切れないものも犠牲にしてきたのだと思います。それは今となっては取り返しがつかなく、計り知れないほど大切なものだったのだのだと思います。時間、お金、人間関係、物欲、等と私達のまわりには日々個々を誘導、誘惑、制限することばかりに感じます。勿論大学生である私と、社会に出ている人達とではこの要素による影響は、想像も出来ないほどの差があるのだと思います。ですが、根本的な面では一緒だと考えたいです。どれほどの経験を積んできたか否かはこれらを理解するのには関係のないことだと思います。今年二月で二十歳になり、この様な「縛り」が私達を不幸に感じさせるのではないかとそう考えるようになりました。


私は「今日」という一日を大切に生きたいと、そう思っています。周囲にいる人は勿論自分より優れている面が多くあります。私が持っていないものを持っていたり、出来ないことを成し遂げることができたりと、人それぞれ個性があるように彼らには輝く面が多く見えます。その輝くものだけを求め欲に負けてしまうよりも、今自分が持っているもの、力、そして近くにいる人達とのつながりを大切できれば、何があろうと毎日が幸せで、ゆえそれが私の原動力となるのだと思います。なお、「今日」が幸せであれば、その日々が続き私をさらに成長させてくれる「未来」希望なのではないかと思います。歴史を知るためにも過去を振り返ることは必要ですが、私は今を生き、そして未来に期待できる人生であれば良いと思っています。個々により幸せの定義は異なるとは思いますが、5年後、いや、10年後また「今」に振り返って仲間と笑い会えたら幸せなのだろうなと、そう感じます。


そのような事もあり、最近私と他3名でクルーズパーティーを主催しました!一日一日を楽しく、そしてやがて来る未来に期待できる人生を今後も歩んでいけたらと強くおもっています!ちなみにDJもやったので、写真アップしておきます!



以上です^^
今後ともよろしくお願いします!
R.K